2010年07月04日

一夫一婦制の起源

おしらせ****************
BOYS LOVE RULES−保健室の個人授業
********************
読者様からの感想はこちらからご覧いただけます。
********************

結婚というのは社会のシステムにとても影響されるものだということがわかります。
「結婚というのはその社会を潤滑に運営していくための制度」
なんですね。結婚それ自体が社会参加ということなんですね。

通い婚であったころでも、婿の定住する場所が「正妻の実家」でした。
そのほかに何件かの通う場所を持っているのが貴族の通常生活だったようです。
夜離れ(よがれ)たり、空閨が続くと、そのスキを縫って他の男が忍び込むこともあったようです。と、いいつつ貴族の姫の家にカンタンには忍び込めませんので案内役の女中がいたり、女性側(親ぐるみ?)の確信犯であることが多いのでしょう。

源氏物語でもいろいろな身分やシチュエーションが語られています。
基本的な形式は一夫多妻の婿取り婚。その内状は不倫あり、不義の子育てあり。
通い婚って、情を契ってから、それからどう進展するか・・・、身分が違えば愛人か一回ぽっきりという賭けのようなところがあります。まず、情を交し合うのですね。
女性が一家を支えねばならない部分があります。実家の父母の力が弱かったり亡くなったりしていると、家の娘が、壊れた屋根を直したり、使用人を雇ったりして家を維持する面倒を見てくれる夫を捕まえねばならないわけです。
惚れたはれただけの話では、貴族の姫君は生きていけません。
今も昔も、自分で収入を得る術のない人は別の方法で生計を立てる必要があるんです。
結婚は経済活動そのものなんですね。

縄文時代、男の力にさほどの差がない場合、イメージとしてはムラの無礼講のように?乱婚的であった男女が、部族―氏族の外側との軋轢や摩擦の強い時代は内側のまとまりが必要となり、秩序が出来上がってきます。
つまり男の間に序列ができ、男に力の差が生じます。そのときに多くの妻子を養う力を持った男の周りにたくさんの女が集まる一夫多妻になります。
ひょっとしたら妻子を養う器量のない男は、お姫様の空閨を埋める役割もしていたかもしれません。
それにしても、社会が複雑になると単なる一夫多妻制だけでは、経済機能としてうまく働かないようになります。正妻、その他の妻、時々通う身分違いの女、数にも入れられない宮仕えの女・・・という風に正妻だけは特別な地位になりますし、結婚のために実家同士のキチンとした手順も踏みます。そのほかの妻に関しては、結婚の手順はありますが、披露宴のように公に発表するようなことはなかったようです。

「愛しているから結婚する」のではなくて
「部族、氏族、家同士の繁栄のために結婚する」
それが制度としての結婚の目的なのですね。

一夫多妻制は明治31年一夫一婦制が民法によって制定されるまで続くことになります。
そうですね。
つまり、外圧によってむりむり?しぶしぶ?一夫一婦制を受け入れたのです。
直接的な外圧ではありませんが、貞操観念を重視するキリスト教の宣教師によって日本にもたらされたこと、日本が推し進めた急激な西洋化に伴い人権思想、男女同権、男女平等という思想が日本に流入したこと、そういったことが一夫一婦制へのレールを敷いていったようです。

一夫一婦制は宗教的、思想的、ヒューマニズムの観点から成り立った制度なのです。
そういえば仏教も淫らなことに関しては戒めています。
「不邪淫」は5戒のひとつなのですね。
でも、仏教が伝来してもまったく一夫多妻を止めなかった日本人でした。
なぜ、同じように貞操観念を押し出しているにもかかわらずこのような違いを生じたのかを少し考えます。


[♡LA]Kee
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。